南海本線難波行き

橋守は息を切らしていた。


「ックハァハァハッハァ………


視界の右隅に居る誰かからチラリと視線を感じた。


(いちいち見んなやクソが…)


睨み返す前にとりあえず座りたい。


エナメルのリュックを座席に放り投げ、よちよちと2歩進み尻をクッションに叩きつけた。



(うーわ……もう空やん。)


リュックから取り出したペットボトルには、検尿用の容器さえ満たせないほどのお茶しかもう残っていなかった。


(……)


(あ、あいつ。)


視線の先には10代後半と思しき茶髪の女が手の中のものに夢中だった。


(…………)


首を返して左を覗くと、臭そうなジャケットに身をつつんだ丸いおっさんが死んだ目でキラキラしたものを見つめていた。


(……はぁ。)







最初は終電に乗っている自分を少し誇りに思うくらいの心持ちで仕事をしていた。別に出世がしたかったわけでもなんでもないのに。気づけば、死に急ぐように最寄りに向かって走る毎日を送っていた。



顔を上げてもう一度彼女に視線を向ける。


(なんか、ごめんな。)


リュックから読みかけの『武器としての「資本論」』を取り出そうとした。けど、やめた。


(どうせ集中できへんし今読んでも頭入れへんからええわ。)


言い訳はすぐに出てくるのに、右手のポケットからはあれがなかなか出てこない。



黒いスクリーンが汗で濡れていた。


太腿で拭うと、今一番見たくなかったものがそこに写っていた。指紋と汗の跡では覆い隠せない「汚れ」が着いていたのだ。


画面を下にしてスマホを膝の上に置くと、無い力を振り絞って両手を握りしめた。足りない水分を無駄にするつもりはなかったが、喉と後頭部の間が瞬時に渇いていく感覚があった。二つの拳を顔に持っていって震える音を立てながらゆっくりと息を吐いた。


手の甲に少しだけ着いていた水滴が汗なのかどうかは分からなかった。が、さっきまでかいていた汗と違うことは明らかだった。


本を取り出すのに邪魔なのでポケットに戻そうと手に取ったスマホに、もう汚れは付いていなかった。













本を開く前にまた誰かから鋭い視線を感じたが、それは闘う背中を力強く押してくれるようなものだった。



武器としての「資本論」

武器としての「資本論」

2年4組の君へ送る。

 口が臭い。

 寝起きに口が臭いと感じるようになったのはいつ頃からだろう。
スマホの画面を見つめ、いつも通り意味のある連絡が何もきていないことを確認しながら両手を前についてよろよろと布団の上に立ち上がる。Safariを開いてトレンドを確認する。日課となったこの習慣も何のためにしているのかよく分からない。時事ネタ。話題のエンタメ。自分から誰かにこれらの話題を振るようなことはまずない。たとえ会話に持ち出されても、あまり興味のないふりをする。
 
 つまらないニュースだと思いながら、ホームボタンを押し布団にそれを放り投げる。つまらない会話だと思いながら、またそれを放り投げる。
 洗面所でつまらなそうな顔をした男がこちらを見つめている。
(こいつはちと重くて放り投げれそうにないな…)
 少し寂しそうな弱々しいその目がこのままではいつか野獣のような鋭い目になることは明らかであった。

 

 

 

          ✳︎ ✳︎ ✳︎

 

 

 

 顔を洗い、朝飯のサラダを食べながらトレンドが開かれたタブを閉じて参加を躊躇していた読書会のホームページを開いた。開催場所が地元の中学に近かったため、会がはじまる前に旧友の誰かをランチに誘おうと思い立った。数年前までは食事に行こうと頻繁に連絡をくれる友人が何人かいた。理由をつけて行かないこともあったが、常に断っていたわけではない。ただ、実際に誰と顔を合わせても俺は自分の言葉を話すようなことはなかった。俺にそうさせていたものの正体が何だったのか今なら分かる気がする。
 身体の奥から生臭いため息を吐ききり、ラインのトーク欄を下に勢いよくスクロールする。小さな丸いアイコンの中に穏やかな笑みを浮かべる彼が見えた。(円山にだったら近況を話せるかもしれない。)伸びかけた爪がフリック入力を手こずらせたが、何とか自分の声をとどけることができた。

 課題図書の『山月記』をリュックに入れて家を出た。外に出てから歯を磨き忘れたことに気づいたが、心なしか息の臭いがましになっているような気がした。

2017年まとめ(本、マンガ、映画)

どーも、xirapherです。

自分が今年出会った本やマンガ、映画についてあれこれ書いてみました。今年の話題書や今年公開された映画についても書いているのでよかったら読んでって下さい。

 

○今年読んだ本

夏頃から読書を始めました。
その頃は人生のどん底にいる気分だったので、およそそんな感じの本ばっか読んでました。
やっぱり不思議なことなんですけれど、本屋に行って舐めるように本棚の端から端まで見ていくと少なくとも1冊、いや2、3冊はその時の自分の心情に合ったタイトルの本が見つかるんですよね。

ほんでもって、読書中は「この人オレと考えてること一緒やん(笑)」とか「自分が言葉にできなかった感情が文字で表現されてる!すげぇ!」といった気分になるんですよね。

自分の考えてることがいくら異端に感じられたとしても、同じ考え方をもった人たちが過去や現在に存在すること、
自分がいついかなる時も一人ではないこと、
これらを改めて認識させられます。

幼い頃から本に慣れ親しんできた方はこんなこと当然だとお思いでしょうけれど、私は勉強&活字嫌いの少年だったので今年になってはじめてそのことに気づくことができました。


本をあまり読まれない方、苦手な方、是非一度近くの書店に遊びに行ってみて下さい。本棚の周りをグルグルしてたらその時のあなたの感情にマッチする作品がきっと見つかると思います。

「見つかんねぇよ!」「そんな時間ないわ!」って方には
「こんなに薄い本あんのかよ(笑)」ってくらいうっす〜い文庫本から手を出してみることをおすすめします!
ワンコインで買えるようなものもあります!
エッセイ集とかも軽く読めるのでおすすめです!

自分もそんなとこから始めました。最初から分厚いの買っちゃうと飽きちゃいますよね。

 

というわけで、さほど多くないですが私が今年読んだ本を羅列します!


・『大人のための社会科 ー未来を語るために』(井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢祐作 著、有斐閣

大人のための社会科 -- 未来を語るために

大人のための社会科 -- 未来を語るために

 

 

(文系に進学予定の高校生や大学生にとっては必読の1冊ではないでしょうか。出版は学術書中心の有斐閣ですが、平易な文章で書かれているため読みやすいと思います。)

 

・『デーミアン』(ヘッセ 著、酒寄進一 訳、光文社古典新訳文庫) 

デーミアン (古典新訳文庫)

デーミアン (古典新訳文庫)

 

 

(読んでいて共感できる部分がたっくさんありました。現代にも通じる古典の魅力には驚嘆します。)

 

・『負ける技術』(カレー沢薫 著、講談社文庫)

負ける技術 (講談社文庫)

負ける技術 (講談社文庫)

 

 

(ゆる〜いエッセイ集です。が、タイトルにもなっている#23の<負ける技術>は処世の本質を暴いている……かもしれない。)

 

・『なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日』(門田隆将 著、新潮文庫) 

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

 

 

(1999年に発生した山口県光市母子殺害事件のご遺族の方のお話です。犯罪被害者遺族、司法の在り方、少年犯罪、多くのことについて考えさせられます。)


・『ジョジョ論』(杉田俊介 著、作品社) 

ジョジョ論

ジョジョ論

 

 

ジョジョというマンガの根底に流れる精神について熱く語られています。学術的アプローチや難解な記述もありますが、ジョジョ好きの方は是非読んでみてください。新しい発見があると思います。個人的には4部の解釈が新鮮でした。)

 

・『「働き方」の教科書ー人生と仕事とお金の基本』(出口治明 著、新潮文庫) 

 

(働くことに対してネガティブな話題が尽きない昨今に、この本は明るいイメージを届けてくれました。あらゆる世代の社会人が読んでためになる本ではないでしょうか。)

 

・『生きるのが面倒くさい人ー回避性パーソナリティ障害』(岡田尊司 著、朝日新書) 

 

(この本は人生に悩んでいる多くの方に安心感を与えてくれる本だと思います。)

 

・『絶望名人カフカの人生論』(カフカ 頭木弘樹 編訳、新潮文庫

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

 

 

(この本は上の本とはまた違った形で安心感を与えてくれます。ちょこちょこ笑えます。)

 

・『変身』(フランツ・カフカ 著、高橋義孝 訳、新潮文庫) 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

(誰かと語り合いたい一作ですね。現代人の私たちならではの解釈があるのではなかろうか。)

 

・『白痴・二流の人』(坂口安吾 著、角川文庫)

白痴・二流の人 (角川文庫)

白痴・二流の人 (角川文庫)

 

 

(この本に収録されている中では「風と光と二十の私と」が一番読みやすかったです。自分の教養足らずで全部を十分楽しみきれていない感じがして悔しい。)

 

・『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 著、岩波文庫

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

(話題の書ですね。ジョジョの源流がここにあるように私は感じました。自分の普段の生活における心構えを顧みることができました。)

 

○今年読んだマンガ

全てではないですけれど、いくつか列挙します。なんか名作ばかりでごめんなさい笑。今年は本をよく読んだ分、相対的にマンガを読む量が減ってしまったような気がします。ジョジョについては機会があればもっっっっっと熱く語ってみようと思います。

 

・『ジョジョの奇妙な冒険(6部辺りから)』(荒木飛呂彦 著、ジャンプコミックス

ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 Part6 (16) (ジャンプ・コミックス)

ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 Part6 (16) (ジャンプ・コミックス)

 

・『スティール・ボール・ラン』(1巻〜24巻)(荒木飛呂彦 著、ジャンプコミックス

 

・『ジョジョリオン』(1巻〜16巻)(荒木飛呂彦 著、ジャンプコミックス

ジョジョリオン 12 (ジャンプコミックス)

ジョジョリオン 12 (ジャンプコミックス)

 

 

(今私がこうしてブログを執筆できるのも全てジョジョのおかげです。この夏にジョジョのマンガとジョジョ展がなければ、私はマジでもうこの世にはいなかったかもしれない。それぐらい心を救われました。まだ夏前の絶望から具体的な一歩は踏み出せていないけれど、生きる希望をもつことはできました。荒木先生、集英社、その他ジョジョに携わる全ての皆様、及び精神を病んでいた私にジョジョ展に行くためのお金を貸してくれた両親に心から感謝いたします。)

 

・『AKIRA』(1巻〜6巻)(大友克洋 著、KCデラックス) 

AKIRA コミック 全6巻完結セット (KCデラックス)

AKIRA コミック 全6巻完結セット (KCデラックス)

 

 

 (3巻まで読んで何故か数年も放置していました。言わずと知れた名作ですね。この作品の作画がヤバイことは誰もが知るところですが、男のロマンが詰まりまくってるという点も見逃せないですね。)

 

・『攻殻機動隊』(1巻、2巻)(士郎正宗 著、KCデラックス)

 

 (1巻が最高におもしろい分、2巻で脳みそぶっ飛んでしまいました。攻殻は神山さんのアニメ版が一番好きです。しかし、1巻は本当に色んな意味ですごい、ビックリします)

 

・『マンガで読破 1984年』(ジョージ・オーウェル 作、イースト・プレス

1984年 (まんがで読破 MD100)

1984年 (まんがで読破 MD100)

 

 

(内容があまりよく理解できなかったので、オリジナルを読んでみようと思います。)

 

・『ニッケル・オデオン 【赤】』(道満晴満 著、IKKICOMICS)

ニッケルオデオン 赤 (IKKI COMIX)

ニッケルオデオン 赤 (IKKI COMIX)

 

 

(今年の夏からウルジャンを買い始めたのですが、それで道満晴満先生のキャラクターヴィジュアルにはまりました。世界観も他にはない魅力がありますね。【緑】、【青】もはやく読みたい)


○今年観た映画

武曲とジョジョと2049とギアスは劇場で観ました。武曲は大きな劇場では公開されない作品だったのですが、観に行ってよかったです本当に。目が悪くなったのか前より劇場のスクリーンがくっきり見えないようになってしまったのが残念です。

 

・『武曲-MUKOKU-』


映画『武曲 MUKOKU』予告編

(この映画は「考える」というより「感じる」ことを大切にしている作品のように思いました。映像や音楽、演技が美しく、鑑賞後に清らかな心持ちになれます。綾野剛の演技、いいです。なんとなく気持ちが曇ってる方にオススメです。予告編から伝わる魅力の10倍はおもしろいのでぜひ!)

 

・『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』


映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』予告編

(山﨑賢人のけったるそうに笑う表情は案外仗助っぽくて素敵です。)

 

・『ブレードランナー

 

(たしか自分が観たのはオリジナル版です。死ぬまでに一回くらいは観ておきたいですね。)

 

・『ブレードランナー 2049』

 

(とにかくライアン・ゴズリングがかっこいい。詳しくは別記事を参照お願いします。)

 

xiraphilosopher.hatenablog.com

 

 

・『シン・ゴジラ


シン・ゴジラ 劇場限定予告

(家で観ました。半端ない迫力でしたね。流行ってたので逆に映画館に観に行かないというひん曲がった根性のせいで損しました。)

 

・『007 スペクター』


『007 スペクター』予告3

ダニエル・クレイグのボンドを見ると元カノを思い出します。)

 

・『ダークナイト ライジング』


映画『ダークナイト ライジング』予告第3弾

(流石に前作は超えてきませんでしたが、こっちもかなりの良作です。アン・ハサウェイが超キュートです。)

 

・『コードギアス 反逆のルルーシュ Ⅰ 興道』


『コードギアス 反逆のルルーシュⅠ 興道』予告PV

(総集編なので内容はアレですが、オープニングは泣けます。

もう一回言います。オープニングは泣けます。)

 

○おまけ

感情が大きく揺さぶられたものをいくつか・・・

・今年一番笑った


かまいたち 職業相談

 

キングオブコント優勝してから興味を持ったミーハーです。圧倒的な発想力と演技ですね。もうサイコー

 

・今年一番泣いた

 

スティール・ボール・ラン』(21巻)の最後の方

 

気になる方は読んでみて下さい。自分の心情とリンクしすぎて人格がいっちまいそうになりました。

 

・今年一番うまかった

 

仙台のフルーツ・パーラー『いたがき』本店で頂いたマスクメロンのメロンパフェ
あんな美味いもんがこの世にあるんですね

 

・今年一番落ち着いた

 

堕落論』(坂口安吾 著)

 

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

 

 

結構短いのでみなさんもご一読を。私的には不安な気持ちでなかなか寝付けないとき読むとちょうどいいです。(※本来、そんな作品ではありません)

 


この中の作品で何か一つでも興味を持っていただけたら幸いです。

ぜひ触れてみてください。


これからもたくさんの素晴らしい作品が発表されて、好奇心と文化で社会が豊かになっていくことを祈るばかりです。

 

来年も楽しみですね!   それでは、また!

 

お久しブリティッシュロック

どーも、xirapherです。  

かな〜〜り寒くなりましたね。

みなさん学校、仕事、家事、ボランティア活動、自宅警備etc..お疲れ様です。私が偉そうに言うことではないですが、「身体が第一」です。やっぱり。

毎日頑張ってるそこのあなた!

素晴らしいです。もはや私がかけるべき言葉もないでしょう。
しかし、健康第一です。ご自愛ください。

「あんまり頑張ってないかなぁ・・」と思ってるあなた!

ちょっとでも頑張ってるだけ偉いですよ、ほんとに。マジで。
世界レベルでみればあなたは確実に勤勉、努力家です。

「全然頑張ってないや。」「私なんてクズだ。」と凹んでるあなた!

生きてるだけで十分偉いです。こんなにも生きにくい社会でなんとか生命保持できてるだけでも大変立派です。

自宅にこもりがちの方は一日に一回くらい外の空気吸ってみてはどうでしょうか。

空も高くて結構気持ちいいですよ。


ということで挨拶はこのへんにして、、

前の更新から一ヶ月以上たってしまいました。

言い訳なんてして良いわけないんですが、先月はレポート課題と風邪で更新のタイミングを失ってました。。

そもそもの原因はこのブログの具体的方向性やテーマを全く決めていなかったことにあるように思います。

かといって、未だ思いつくこともないので、

一週間に一回は更新(少なくとも)

という緩い目標でぼちぼちやっていこうと思います。

内容や分量にこだわらず、まずはこれを第一目標にします!

『ブレードランナー2049』 レプリカントは◯◯の夢を見るか?

当記事は前記事のつづきです。

 

xiraphilosopher.hatenablog.com

 

さて、

前記事では「新しい」要素の正体をはぐらかしたまま終えたのだが、当記事ではそれを明らかにすると共に『ブレードランナー2049(以下、「本作」という)』の内容についても触れていこうと思う。

 

ということで、ここからはネタバレあります!

結論からいってしまえば
「新しい」要素

それは紛れもなく前作『ブレードランナー』と本作に共通する「物語のテーマ」である。

そして、それは具体的にいうと「人間とはなにか?」という問いである。

 

本作主演のライアン・ゴズリングはある雑誌のインタビューに「『ブレードランナー』からアイデアを盗んだ映画は山ほどあるけど、魂までは盗めてはいないね。」と語っている。傲慢であることを承知の上で言わせてもらうとこの発言は私が前記事で述べたことと同じ主旨であるように思う。

 

この問いは前記事でも述べたように古今東西あらゆるところで議論され問題となってきたものだ。

本作でももちろんこの問いはテーマになっているが、重要なのはやはり前作と本作の製作における時代背景の差異だろう。前作は当時においては革新的とされたあらゆる手法により「人間とはなにか?」という問いかけを成功させた。当時においても『ブレードランナー』を観る前からこの問いを真剣に考え続けていた者が数多くいたことはもちろん当然のことだ。(前作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というフィリップ・K・ディックの原作小説をもとに作られたのだから。)しかし、当時前作を観た人たちの内どれだけの数の人がこの問いに向きあわされたのだろうか。さほど多くはないだろう。何もかもが新しすぎたのだ。前作のオリジナル版公開当初は興業収入が振るわなかったという点からも当時の人々の関心がこの問いに向きにくかったことが分かる。(ちなみに当時は同じSFでも『E.T.』が流行っていたそうな)
これに対して、本作が作られた近年においてはこの問いがどれだけ映画を観る人の内面をえぐり、不安にさせるものなのかは言うまでもないだろう。

技術の進歩や文明の発展がもたらしたもの。

私たちが日々の生活において何気なく触れているもののほぼ全て、これらがもたらしたものの意味。

誰もがそれらについてまで思いを馳せずにはいられないだろう。
はっきりいって本作は気持ち良く観れたいい映画ではあったが、耳の痛くなるような、心臓を握られるような、そんな表現も多々あった。だが、個人的意見ではあるが良い作品はすべからくそういった表現を含んでいるように思う。

 

「人間とはなにか?」である。

 

本記事はこの『ブレードランナー(2049)』の根源的なテーマに沿った形で本作を検討し自論を展開する。

 

◯絶対への欲望と限界への絶望

哲学的な議論において「人間とはなにか?」という問いはしばしば「神」との対比の文脈で論じられる。人間は「バベルの塔の物語」などからも分かるように古くから権威や栄光といった偉大な力を求めては、圧倒的な力の前に打ちひしがれるということを繰り返してきた。この偉大な力というものに際限はなく、人間は常に目に見えない「絶対」を欲望してきたのだ。これはすなわち「神への挑戦」とも言い換えることができるだろう。その過程において人間は何度も己の「限界」を知り、そして絶望を味わうことを経験した。

本作の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは前作『ブレードランナー』について「神を演じようとした男の物語なんだ。そして、映画の中心になっているのは、神や創造者への怒りだ。そういう怒りは人間の条件に対しても向けられている。」と述べている。

おそらくこの後半部分が指す「人間の条件」というのは私が上で述べた人間と「神」との対比の結果導かれる「限界」を指すのだろう。
では、前半部分は何を指しているのか?
これがまさに「人間とはなにか?」を『ブレードランナー』両作において考える土台の役割を果たす「人間とレプリカントの境界」問題である。

「神を演じようとした男」とは他ならぬロイ・バッティ(ルトガー・ハウアーが好演した反逆レプリカントのリーダー)のことだろう。(デッカードと捉えることもできなくはないが彼はレプリカントであることを前提にしたとしても、苦悩する主人公として視聴者に近い目線で描かれていることから私は違うと推察する。)
「自分はどうして4年しか生きれないんだ?」彼は問いつづけただろう。そして創造主であるタイレル博士たちに対して激しい怒りをぶつけた。と同時に自己の「限界」に対しても怒りを覚えたはずだ。この構図はまさに「神」と「人間」の関係と同じだ。

対して本作の主人公Kはどうだろうか?

彼は寿命制限のない人間に忠実なネクサス9型のレプリカントである。しかし・・・・

彼はあの骨(レイチェルの遺骨)に出会うまで自分のことを単なる仕事熱心なレプリカントとしか思っていなかっただろう。同僚から「Skin-job(=人もどき)」と罵られても何も感じていなかったように、忠実に上司の命令に従うことが自分の存在価値を証明する唯一の手段だと考えていたのだ。これは一種の「絶望」だろう。

しかし、おもしろいのは同じレプリカント9型のウォレスに仕えるラヴと違って、彼にはジョイという心の支えがあったことだ。彼女はAIに過ぎない。そんなレプリカント以下の存在とも言える彼女がただ忠実なだけのラヴにより一度消滅させられ、物語の終盤にKに「真に人間らしい」行動をとる決意をさせる(「Good Joe(=いい人)」発言) 重要な役割をはたすという演出はあっぱれであった。この「真に人間らしい」行動というのが本作の最も重要な部分である。

つまり、この行動を描いたことで本作は「人間とはなにか?」という問いに対する一つの答えを示したのだ。

レジスタンスの主張する「人間らしさ」である大義名分に基づいた行動(あの場においては奇跡の子であるアナ・ステラインを守り抜くためのデッカードの殺害)ではなく、Kは、「自分の頭を使って考え」抜きデッカードという「他人を想って」彼を救い出しその娘であるアナに会わせるという行動を選んだのだ。
うろ覚えだが、たしかKはデッカードをラヴの手から救出した直後「(おれは)死んだよ。」というような主旨のセリフを口にしていたように私は記憶している。
これは「レプリカントとしての自分はもう死んだ。」ということではなかろうか。
この瞬間に彼は「絶対(人間)への欲望と(レプリカントとしての)限界への絶望を」を超越し、つづく「真に人間らしい」行動を通して「真の人間」になったのではないだろうか。(生物学的な「ヒト」ではなく、「人間とはなにか?」でいうところの「人間」)


ロイ・バッティが「神を演じようとした男」(神の模倣者)であるならば、

K、いやジョーは「神に勝利した男」(神からの試練に打ち勝った者)だろう。

 

アイデンティティ・クライシス

2049年のロサンゼルスには風俗、酒、人工食品、巨大な商業広告があふれ返っている。そして、そこに暮らす人々は、他の植民地化された惑星に移住することのできない貧困層である。

食に関しては2049年時点での環境レベルに鑑みればやむなしと言うべきなのかもしれない。しかし、それでも遺伝子組み換え食物によってつくられた食品が無機質に並ぶ自販機、サッパーの養殖していたあの線形動物(この時代の唯一のたんぱく源だという)を見て暗鬱な気分になったのは私だけではないだろう。廃棄食品(最近だとSNSに見栄えの良い写真をアップして、食べずに捨てるという蛮行が話題になった)や化学調味料、ファーストフードがもたらす負の側面(不勉強なので深くは言及しない)といった食の問題について目を背けつづけた先にあるのはこのような未来なのだろうか。

酒や性風俗といった即時充足的な快楽を満たすものに街は埋め尽くされている。劇中に登場した「酒」の字が浮かぶ電光掲示板と風俗店の曇りガラス越しに見えた性行為の描写は印象的であった。

巨大な商業広告とは、まさに「巨大」な広告のことを指しているのだが、私たちの身近にもそれは存在しているのかもしれない。スマホを手放さない現代人にとって画面上の巨大な商業広告はもはやお馴染みの存在だろう。それらを邪魔だと感じる一方でついついクリックしてしまう方も少なくないのではなかろうか。

このように2049年のロサンゼルスの住人は欲望に飼いならされているわけだ。そんな社会で彼、彼女は「アイデンティティ」を保てるのだろうか。そしてそれをついに失ってしまった時、まだ彼、彼女を「人間」と呼べるだろうか。

先進国に住む現代人である私たちは既に消費しきれないモノがぎゅうぎゅうに詰め込まれた箱のような社会に生きている。

この項目の冒頭で述べた「貧困層」とは誰を指しているのだろうか・・・・

 

◯「I want to ask you some questions.」

この言葉は作中で自身の出生の秘密を探っていく中でKがデッカードに対して発したセリフである。質問の答えをはぐらかそうとするデッカード。これに対していらだちを隠しきれず語気を強めて問いを繰り返すK。このやりとりの中で本作のキーマン「レイチェル」の名がはじめて登場する。

という印象深いシーンなわけだが、思えばこれは物語の根底にある「問い」のメタ的表現のように思える。本作も前作と同様に劇中で様々なキャラクターが問いを発している。フォークト・カンプフ検査(人間とレプリカントを見分ける為の手段の一つ)もまさに問いの繰り返しによって行われる。

 

この映画を観た者は「人間とはなにか?」という問いを心の中に存在するもう一人の自分に対して問いつづけているだろう。
答えを出せた方はいらっしゃるだろうか?

「人間とはなにか?」という問いに対して
私は「幸福と悲しみを同時に味わうことのできる存在」だとか
  「自分のことを大好きにもなれるが、大嫌いにもなってしまう存在」だとか

  「永遠に悩みつづけることのできる存在」だとか

  「自分の選んだ選択肢に確信を持てないままその行動に出る存在」だとか

  「自ら死を選び得る存在」だとか考えたりする。だが、答えはまだ出ない。

 

「人間とはなにか?」という問いは正義論(マイケル・サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』が近年話題になった。)と同じく哲学的な問題であるが故に、私たちはある時点における最適解を得られたとしても、絶対的な解というものを手にすることは永遠にできないのだろう。しかし、私はそれで構わないと思っている。

つまり、死ぬまでに答えを見つけることが正しいのではなく、死ぬまで「答えを探しつづけること」が正しいのではなかろうか。一番大切なことは暫定的な最適解を見つけ出すための努力、すなわち不断に問いつづけていくこと、これを止めてしまわないことだと私は信じている。

 

 

かなり背伸びして書いた文章なだけに調子に乗りすぎてしまった感じが否めないが、遅筆で要領の悪い自分なりに頑張って書かせてもらいました。最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

<最後に>

これを読んだ方が少しでも『ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』に興味を持ってくれることを祈っています。そして、欲を言えば「人間とはなにか?」について考える時間を5分だけでもいいのであなたのその限られた人生の時間から捻出してくれたらいいなぁと思っています。さらにもっと欲を言えば、その思いを本記事にコメントしてほしいです。めっちゃ喜びます。まだ文章を書き慣れていないので内容に関しない文章表現に関する指摘、ご意見などもぜひお願いします。

それにしても最後の雪降る中のライアン・ゴズリング、ほんとにかっこよかったよね。あの横顔なんでしょうねいったい。なにはともあれヴィルヌーヴ監督をはじめとした本作に制作に携わった皆さん、ほんとにほんとにありがとう。

 

 

予告編見てるともっ回観に行きたくなりますね〜(笑)


映画『ブレードランナー 2049』予告2

『ブレードランナー2049』 前日談

話題の映画『ブレードランナー2049』(以下、『2049』と表記する)を公開初日に早速観てきました。おもしろかったよ^0^(この記事にネタバレはありません。)


初日にはりきって観に行くということは映画マニアでもない自分にしては大変珍しいことなのだが、少し前にツタヤで前作を借りて予習したばかりであったので記憶の新しいうちに行きたかったのだ。

実は、前作『ブレードランナー』を観るのはその時が初めてで、

観賞後は、これが『AKIRA』や『攻殻機動隊』を代表とするサイバーパンクの世界観の礎になり、日本のアニメーションの発展に革命をもたらした作品なんだなぁと感慨深い気持ちにさせられた。

 

しかし、あの映像美や音楽に魅せられることはなかった。

これはリアルタイムでご覧になった方は愕然とする感想かもしれないが自分と同じ世代(ゆとり世代)の中には共感してくれる方がいるように思う。なぜかというと、自分にはあの世界観が見慣れたものとなっていたからだ。上記2作品を始めとしたアニメ、マンガや、CGを多用に使用した映像を幼い頃から日常的に見て育った私にとっては『ブレードランナー』は「新しさ」ではなく「古さ」を感じさせる作品であった。

ー灯のともった巨大な高層ビル群とその下層に位置するスラム街ー
ー無秩序なネオン広告ともやに包まれた薄暗い雑踏ー

これらを始めとした現実と非現実の絶妙なブレンドが当時の人々に強大なインパクトを与えたことは想像に難くない。しかし、オリジナル版初公開からは30年以上も経っている。現代の一人の若者である私には本作品の中のあらゆるものが古く感じられた。(ただ一つを除いて……)
ここで一つ注意していただきたいのは私はこの作品を古臭いもの、と言いたいわけではないということだ。むしろその逆で、この作品から漂うのは「古き良き臭い」である。何が良いのか、というと上で述べた私の初見の感想で「あらゆるものが古い」と感じられた点だ。

どういうことかもう少し詳細に説明する。自分は映画に詳しくはないので制作過程について何かを述べることはできないが、その構成要素がいかに多いかはエンドロールの長さからも伺い知ることができる。脚本、演出、映像、音楽、美術、セット、小道具etc..

本作品も当然に様々な要素をもつわけだが、これらの要素の一つ一つに「古さ」を感じられた。そして「古さ」と「新しさ」は対応関係にある。つまり、私はこの作品以後の「新しい」作品に登場する諸要素との「関連性」を感じとれたのだ。これは一見当たり前のように思えるが私は奇跡ではないか、とさえ思う。あらゆる要素がオマージュされ後続作品に活かされ、また反面あらゆるクリエイターが『ブレードランナー』の呪いにかけられた結果として私にこのような現象が訪れたのだろう。無論、私の単なる思い込みで勝手に近年の作品に結び付けている要素がある可能性は否定できない。しかし、本作品がそういった思い込みを生じさせる「凄み」をもっていることは世代を問わない共通認識だろう。そして、この「古き良き臭い」を知覚できたのは「新しい」数多くの臭いを知っていたからだろう。逆もまた然りである。
つまり、本作品から派生した(「影響を与えた」という表現では不十分)数え切れない程の作品を「新しい」ものとして享受してきた私が「古い」本作品に出会えたことで温故知新のもたらす幸福を味わえたことは言うまでもない。

 

 

ここで、先ほど飛ばした本作の唯一の「新しい」点について少しだけ触れておく。読み手を戸惑わせるつもりはないが、この唯一の要素は「新しい」とはいうものの厳密には決して新しいものではない。なぜなら、それはこの映画が作られる何年も前からこの世の何処かで誰かが表現しているものであり、本作の発表以後も表現され続けているものであるからだ。では、何故「新しい」のか。それには二つの理由がある。一つは本作が上述の他のあらゆる要素を巧みに用いてこの「新しい」要素を際立たせることに成功したからだ。そしてもう一つがこの要素が未だに新鮮さを保っているからだ。

では、この要素とは一体何なのか?

 

その答えは次記事で『2049』と共に検討していこう。

 

ということで、書き始めた時点では当記事で『2049』についてあれこれつづっていこうと思っていたのですが、それらは次記事にお預けしたいと思います。(まだ自分で整理できていない部分があるため)なので、当記事では前置き程度に『ブレードランナー』(前作)についてちょこっと語らせてもらいました。

 

次記事はネタバレ含んだものになるので『2049』未鑑賞の方はぜひ劇場へ!

(前作『ブレードランナー』とyoutubeで視聴可能な3つの短編は事前に観ておいた方が絶対いいですよ!)


映画『ブレードランナー 2049』予告

自己紹介とか

はじめましてー。

xiraphilosopher(略してxirapher)と申します。

聞かれてもないのに勝手に答えますと、実はこれ人生初ブログ&初記事なんです。

なぜブログを始めたかちょこっと語らせてくださいね。

実は前述の通り自分は今までブログやSNSとかを(ほぼ)やったことがなく、他人のを見るばかりでネットでは情報の受け手側に安住してたんです。「こいつ間違ってるわ〜。」とか「それはちゃうやろ!」とか偉そうにつっこんでも頭の中で自己完結することばかりでした。でもやっぱり自分から何か発信しないと誰とも繋がれないし、批判に揉まれることによる成長もできないんだな、と改めて最近思うようになりました。(そう思ってから行動に移すまでにもやたら時間がかかったわけですが、、)

そして、それがブログを始めた一番の要因なんですが、もう一つ大きなきっかけがありまして、それが自分が今人生の岐路を目前に控えているという事実です。これから自分がどういった道を進むべきなのかを考える上でも頭の整理として思考を文字に起こすことはやっぱり大事だろうな、と。


まー、てなわけでブログを始めることにしたわけですが実はまだ具体的に何をテーマに書いていこうとか、こういう方向性で書こうとかは全く考えておりません。とりあえず自分の興味の向くままに書いてこうと思ってます。


よろしくねー。あ、ちなみに関西人です。